目次: 寄稿編 No.19 ラック戦法のことなど 内藤 資忠

 "ラ・テール・スパンダン・レスタサプラース" 比叡山は今も静かに京大ラガーをみつめている。京大ラグビー・クラブとして同好の士が集まり楕円球をとりあった初めから泰然と。

其後部として認められてからは部員一同グッーと熱が入り、宿敵慶応義塾大学、同志社大学を一蹴しようと日夜励んだ。三高卒業者が多かったので慶応、同志社となると今年こそは勝ってやろうとファイトを燃やしたものであった。

 だが併し各人とも自信もあり技術も相当と思っていたが何か一つ欠けており思う様にいかなかった。

 其時、昭和の初期英国に留学していた三高、東大の先輩、香山蕃氏(バンチャン)が帰国し、特に京大ラガーをみてやろうという事になった。彼は同志を集めて部を作ったり(三高陸上部、東大ラグビー部創設の実績あり)する話術、人間蒐集術にたけていたが、其の話す英国式ラグビーは、下手な講談師よりうまかった。

 TBやHBの連中は巧妙な話術にひきこまれ、或は自らカーショウと思いデーヴィス、ロウと自惚れて、グラウンドでは技を、食後の団らんでは論に花を咲かせた。練習量も相当やった積りであったが、とても今日の東京方面の大学の様に猛練習をやったとは思わなかった。こまかい術は各自が考えねばならないし、血を吐く様な練習なんて全然覚えていない。これで日本ラグビーの覇者などとはとてもいえなかったと思う。

 併し此の時期は、建物でいえば基盤整備の時であったか?

其後昭和二、三年頃入学したものには優秀なものが多かった。

 既に三高、大高、成蹊、成城、其他高校でラグビーも盛んになっており、其の基盤から集まってくるラガーも中心となったコアのものと力を合わせ、相乗作用で次第に強くなり、ついにインヴィンシブルを誇った。

 此の第二の時期が終って優秀な選手が社会に出ると中だるみの時代になった。

 自分が京大ラガーをコーチする様になったのは、京大営繕課に奉職する様になった時からあしかけ七年の間であった。其の頃の思い出、指導方針など書いてみたい。昭和六年頃から昭和九年頃の間は全く隠忍低迷の時代であり、何とか試合経験と実力をつけようと同志社と年二回ずつ二年間続けたと記憶する。

 其の頃のプレイは早大式とでもいう、ポイントを次々と造り二、三回目のルーズ・スクラムで相手が応接につかれ、防禦陣がうんと乱れた処をねらい最後のとどめをさそうという寸法であった。此の戦法に巻き込まれない為には球を中心にしてラックを組み?楔形に密集の中心をしっかり構え、突破も可能、ヒール・アウトも容易?という所謂ラック戦法の練習を徹底的にやらせた。これは其の当時、南アフリカのスプリングボクス・チームが濠州遠征をした時、これを打ち倒す戦法として濠州チームが編みだして勝利を収めたというプレイであった。つまりラックによって相手のFWを引きつけ、戦線を整理してTB等の活動を楽にした。当時の英国の新聞が詳述していたのを偶然手にして、其のアイディヤを拝借したものであったが、方針としてはHBにも色々注文をつけた。つまりSOの前でつきまとううるさいディフェンダーの前に方向の一定した曲らない、ワンバウンドの強いパスを通すと、瞬間的に相手を交して突破出来るので、この戦法も徹底的に練習させ、いつでも使える様にした。方向の一定した?転っても方向を曲げないパス?とは球の長軸方向に回転する球質のもので、芝生でない砂のグラウンドでもSOはコースに合わせて突進出来、相手の一歩遅れた間隙を抜き切る事が出来る。

 TBの球のハンドリングは今日のプレヤーとは多少異なる。球の授受は前傾姿勢のまま腰の高さでアーム・ピットの中で行わせた。この位置だと相手にインター・セプトされない。且つ球質はHBの場合と同じであるから、風に向っても方向を乱される事がなく、又多少前の方に通ってもシングル・キャッチが容易である。TBパスは、元来一人一人と押し出される様に渡してゆくものではなく、何番目で相手を抜き切ってやろうと目標をたてて、自分より有利な味方に抜き易い良いパスを送ってやらねばならない。其の為には抜かせる予定のパッシーと相手の間隔を考えて強いパス?相手が球をはたけそうで手がとどかぬパス?を通し其の瞬間を利用させた。

 FBには前線参加を禁じた。トライに結びつく機会もあるであろう。併し一人でFBという重大なポジションを守るのであるから常に体力に余硲を持たねばならぬので当然と思う。

 紙面も少々オーバーしそうなので其の他二、三の方針を列記する。

 ネバー・ショウト・パント−折角手に入った球はいつもどるか分らないから。
 FWはみだりにTBラインに入るな−これはウェイク・フィールドが著書にのべている−此のバックロウセンターは、四〇〇mを四八秒位で走った。
 WTBをもっと走らせよ。タッチラインを最後の一吋まで使え。
 此のポジションは移動するポイントである。彼のクロス・キックを待つFWをがっかりさすな。
 駿足のTBを集めよう。特にWTBは一〇〇m競走で一〇秒七、八のもの−此の程度のものは陸上競技部ではものの用にもたたない。
 GK、PKは場所により、天候により、各々四種類をマスターする事。
 慶応大学は吾国初めてのラグビーをクラークさんから手ほどきを受けたが、其時は八人FWの3・2・3ではなかったか。
 併し彼等は相手の重圧(其の時の試合相手は恐らく横浜外人チーム)に堪えかねてか、3・2・2の形で地べたにへばりつき瞬時に球を出す独特のスクラムを考案した。スクラムについて何か考える事はないだろうか。

筆者のポジション初めルーズ・フッカー1シーズン
大体WTB
其問SO一時期あり

(昭和二年卒 故人)

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